高校野球の聖地、甲子園球場。その内野グラウンドに使われている「甲子園の土」がどこから来るのかご存知ですか?
試合に敗れた球児が涙ながらに持ち帰る土、その由来や配合にまつわる秘密、そして80年以上続く伝統の背景について詳しく解説します。
この記事を読めば、甲子園の土に込められた深い意味と、知られざる歴史に触れることができるでしょう。
甲子園の土はどこから? その歴史と持ち帰りの背景とは?
甲子園の土とは?
甲子園の土は、阪神甲子園球場の内野グラウンドに使用されている土であり、高校野球大会において特別な意味を持っています。
甲子園球場でプレーした証として、選手たちはこの土を持ち帰ります。
特に試合に負けた学校の選手が一列に並び、涙ながらにベンチ前の土をかき集める姿は胸を打つ光景です。
新型コロナウイルス感染対策で禁止されていた「甲子園の土」の持ち帰りが、2023年に、2019年以来4年ぶりに再開されました。
実は敗者だけでなく、優勝校もこの土を持ち帰ります。
決勝戦出場校は表彰式などのすべてのプログラムが終わった後、グラウンドから引き揚げる際に土を持ち帰ります。
これは、高校時代の3年間を忘れないようにするためであり、「甲子園は高校球児の夢だから」という理由が一番大きいです。
多くの元球児は、この持ち帰った土をガラス瓶などに入れて保管し、それを見るたびに当時のことや、幼い頃からの夢であった甲子園に行ったことを懐かしく思い出すそうです。
なお、土は定期的に補充されているため、枯渇することはありません。
甲子園の土を持ち帰ったのはいつから?
甲子園の土を持ち帰る習慣は、1937年の夏の第23回大会で初めて見られたとされています。
熊本工業の投手であった川上哲治さんが、決勝戦で敗れた後、甲子園の土をユニフォームのポケットに入れたことが始まりです。
川上氏はその土を自校の練習場に撒き、後輩たちの活躍を願ったと言われています。
このエピソードから、甲子園の土を持ち帰る文化が始まったという説が有力です。
また、別の説として、1949年の夏の大会で福岡の小倉高のエース・福嶋一雄さんが、準々決勝で敗れた後に甲子園の土を持ち帰ったという話もあります。
福嶋さんは、試合後の脱力感の中で無意識に土をポケットに入れ、その土を見た審判副委員長から励ましの手紙を受け取ったというエピソードが伝えられています。
いずれの説も、「甲子園の土を持ち帰る」という文化が80年以上も続いていることを示しており、その土は多くの元球児によって大切に保管されているか、母校のグラウンドに撒かれていることが多いようです。
この習慣は公認されており、持ち帰った土が学校教育では学べない多くのことを象徴しているとされています。
甲子園の土が持ち帰り禁止に!
新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点から、甲子園の土の持ち帰りが一時禁止されていました。
特に、交流試合では、今春の選抜大会に出場が決まっていた32校を招いて開催されましたが、感染対策として試合と試合の間にベンチを消毒し、選手の入退場も他校の選手と接触しないように配慮する必要がありました。
このため、選手が土を集める行為は事実上「禁止」となりました。
出場校には後日、土を贈ることが検討されました。
しかし、今年は2023年に、2019年以来4年ぶりに、選手たちが試合後に甲子園球場のグラウンドの土を集めて持ち帰ることが認められることになりました。
これにより、再び選手たちは試合の思い出として土を持ち帰ることができるようになりました。
甲子園の土を「あえて持ち帰らない」選手の思い
高校球児が甲子園の土を持ち帰る理由には様々なものがあります。
自身の思い出の品として手元に置いておくことはもちろん、家族やお世話になった人たちへの記念品として渡すことも多いようです。
しかし、中にはあえて持ち帰らないという選手もいます。理由は再び甲子園に戻ってくるための誓いです。
プロ野球日本ハムで活躍する清宮幸太郎選手もその一人です。
早稲田実業の怪物ルーキーとして2015年夏の甲子園大会に出場した際、準決勝で敗れた後、土を集める列には加わりませんでした。
インタビューで「絶対ここにまた戻ってくるので、いらないです」と語り、何度もグラウンドを振り返りました。
2023年夏の全国高校野球選手権の3回戦で敗退した広陵(広島)が「土は集めないのが伝統」として持ち帰りませんでした。
学校や指導者の方針によっては、土を持ち帰らないことがあり、監督として春夏通算10回出場した野々村直通は、試合に敗れても選手に土を持ち帰らせなかったことが知られています。
また、出場機会を残す選手が「次も来る」という意思表示で持ち帰らないケースもあります。
特に春の大会では常連校ほど土を持ち帰らない傾向が見られるようです。
甲子園の土はどこから? 噂の産地と配合を徹底調査!
甲子園の土は鳥取砂丘の砂?その噂の検証!
タレントの大泉洋が出演する北海道テレビ(HTB)の人気番組「水曜どうでしょう」が、2000年に鳥取砂丘で砂を採取したことが話題になりました。
この撮影は2000年4月5日に行われ、鳥取砂丘の砂の上に番組名を書いたり、飛び散った砂を約20キロ集めて土産店の袋に詰めたりしました。
その砂は北海道に持ち帰られ、小瓶に詰めて視聴者にプレゼントされました。
しかし、砂の採取が行われた場所は「特別地域」であり、自然公園法で禁止されている行為でした。
HTBは鳥取市に謝罪し、再放送と他局への販売を中止しました。
環境省もこの事実を調査し、場合によっては告発することもあるとしていました。
この出来事から、「鳥取砂丘の砂が甲子園に使われているのか?」という噂が浮上したようです。
しかし、実際には甲子園の土は鳥取砂丘の砂ではありません。
人気漫画『ドカベン』にも、甲子園の砂が鳥取砂丘から来ているという誤った描写がありますが、実際にはそのような事実はありません。
鳥取砂丘は国立公園であり、砂を持ち出すことは法律で禁止されています。
甲子園はどこの土?
現在、甲子園の土は国内の黒土と中国福建省の白砂を混ぜたものが使われています。
黒土の産地は毎年決まっているわけではなく、岡山県日本原、三重県鈴鹿市、鹿児島県鹿屋、大分県大野郡三重町、鳥取県大山などの地域からの土をブレンドしています。
一方、砂の産地は変遷があり、甲子園浜及び香櫨園浜社有地、瀬戸内海産の砂浜、中国福建省、そして現在は京都府城陽の砂が使われています。
当初は甲子園近辺の砂を使用していましたが、現在は異なる地域からの土と砂を使用するようになっています。
また、雨の多い春には水はけを良くするために砂の割合を多くし、日差しが強い夏には黒土を多くするなど、季節や天候に応じてグラウンドキーパーの長年の経験と技術によって調整されています。
こうして、絶妙な色合いと質感を持つ「甲子園の土」が生まれているのです。
こうして、甲子園の土は多くの地域からの素材をブレンドして作られているため、甲子園近辺の土や砂は使用されていないことになります。
甲子園の土の配合は?
甲子園球場の土は、複数の産地から運ばれた「黒土」と「砂」をブレンドして作られています。
甲子園球場の公式サイトによると、使用されている黒土の主要な産地は鹿児島県志布志市で、この黒土は火山灰を含んでおり、非常に保水性が高いのが特徴です。
また、砂の主要な産地は京都府城陽市で、水はけの良い「丘砂」が使われています。
黒土と砂の割合は、季節や天候に応じて調整されます。
春は雨が多いため砂を多めに、夏は白球を見やすくするために黒土を多めにブレンドしています。
基本的には、夏の場合、黒土が60%、砂が40%の割合で混ぜられています。
また、甲子園球場の土は日々補充されており、全国高校野球大会の期間中も常に最適な状態が保たれています。
このように、甲子園の土は季節や天候に応じて絶妙なバランスでブレンドされ、長年の経験と技術によって最高の状態が維持されています。